がんばれがんばれ

大震災で、被害にあわれた皆様に謹んでお見舞い申し上げますとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、心よりお悔やみを申し上げます。一日も早い復旧をお祈りいたします。
さて、30日から4日間、南三陸町に支援に行ってきました。職場には病院組織もあるので、医師、看護士、薬剤師、事務でチームを編成し、交替で組まれ、私は第5班でした。年寄りの事務が行くなんて無謀なんですが、何かしたいと手を上げた次第でした。その罰なのか、1日付けで他部署に異動と言うおまけまで。文句が有るなら南三陸まで辞令を持って来いと(笑)
さて東北道。この写真は以前の班が撮ったものです。、テレビでは「直ちに心配がある数値では無い」と言っておりますが身体に良い数値では無いことだけは確実です。以後、安全のため福島はノンストップでした。ちなみに、帰りに計測した時は、全く安全な数値でした。原発の状態と風向きが悪いとこうなるのかな。
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さて、警視庁機動隊がガソリンスタンド占拠です。本線まで車列が延びてました。その前のSAは自衛隊が占拠と言う具合に大量の人員と車両が送り込まれていました。おかげで、パトカーごぼう抜き(笑)。普段は絶対に出来ないですから。高速代も、災害支援法適用で、往復無料でした。
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峠を越えると、そこは瓦礫の山でした。電柱は東電が必死で立てていますが、変電施設も流された(でかい器械が道端に転がっていました)ため電気の復旧は今月末までかかるとか。
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酷い惨状です。360度のパノラマで見るのとTV画面では臨場感がまるで違います。瓦礫や泥の下には、まだ発見されていない方が見つかる可能性は十分に有るでしょう。
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アパート?の屋上に車が見えます。まだ川の中や、そこらに車がありました。中には原型をとどめていない車も多数ありました。
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ここが、私の職場となった三陸町ベイサイドアリーナです。ここには1500人が避難しています。ここに医療統括本部がおかれており、その本部事務が私の仕事でした。ここの統括は志津川病院で被災した医師2名でした。全国から集まる医師を南三陸町だけでも、30箇所にのぼる避難場所に手際良く配置していきます。毎朝7時30分に医師のミーティングが有るので、それまでに配布資料を作りコピー(滅茶苦茶遅い器械)しなければならず、朝は健康的に4時半起床でした。
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支援者は原則的に全て自前で準備なんですが、避難民に見えたのか、「おい、これを食えと」汁物を強引に手渡されました。避難所によっては物資の配送に偏りがあり、一日の食事がゼリーとビスケットだけの所も有るようでした。ありがたい食事でした。神戸の時も避難民から「お前ら、ちゃんとしたもの食え」と差し入れされた思い出が(これ秘密です)被災者の方々には全国から支援物資が送られますが、支援者が横取り(もらうのも)するのは禁止ですから。
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息抜きでアリーナの裏に回ったら、白いテントが8つ。隙間から棺が見えました。思わず心の中で手を合わせました。毎日、地震が有りますが、被災者の方々は、ごく自然に振舞われていました。家や家族を失っているにも関わらず元気そうにしている姿には涙が出ました。1日も早い復興を願って止みません。
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何でもできる、何でもやる人間でないと、安易に支援などと来ては行けません。私も体力的にこれが最後かもしれません。人助けはしたいですが、人の迷惑になるのは勘弁です。